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第3講座「四日市公害の歴史2」 巷談『ホタルの宿から』

2008/09/28 2008

四日市公害・環境市民学校2008  第3講座「四日市公害の歴史2」原稿 9月27日(土) 巷談  ホタルの宿から    作  市珉亭十九   皆さんこんにちは。お初にお目にかかります。このわたくし、実は鈴鹿川の水で育った「ホタル」なんでございます。鈴鹿川というのはほんとにありがたい川でしてな。鈴鹿山系に吸い込まれた雨水雪水がたっぷり地下にしみこんで、伏流水になってるんです。お陰で水道水が地下からの汲み上げ水でまかなわれたり、下流の楠では昔から酒づくりが盛んなのは皆さんご承知のことと思います。 私たちがずーっと昔から住み着いてます楠町の一角も、その鈴鹿川の湧き水に恵まれたありがた~い揺りかごみたいなところです。この「楠町」、実はこちらの町長さんと隣の市長さんが仲良うなって「市町村合併」がありまして、四日市市の一部ということになってしまいましたが、やっぱり「楠」は楠なんでございます。 地元の皆さん...

市民学校参加へのお礼と第三回講座へのお誘い

2008/09/11 2008

市民学校参加へのお礼と第三回講座へのお誘い  酷暑や集中豪雨が続いた夏もようやく終わり、次第に秋らしくなって参りましたが、皆さまにはいかがお過ごしでしょうか。 第二回、山本勝治さんの「四日市公害の歴史1」には前日からの大雨にもかかわらず、五十名を越える熱心なご参加、ありがとうございました。ただ、最後の討論時間を充分にもつことができず申し訳ありませんでした。提起された問題などは今後の検討課題として、またの機会に取り上げたいと思っております。 続く翌日の現地視察では、夏休みの自由研究のために参加したという小学生も含めて、総員三十四名が澤井さんと山本さんの解説を聞きながら、近鉄塩浜駅から磯津漁港、昭石タンクヤードまで、当時の公害激甚地を歩きました。 現場を直接見ることの大切さをいつも痛感しますが、それにしても工場やタンクヤードと居住空間が隣接して存在しているこの地域の凄まじい光景には、いつもながら...

四日市公害被害地を歩く

2008/08/25 2008

特別講座「四日市公害被害地を歩く」の資料です。近鉄塩浜駅から塩浜病院跡、塩浜小学校、磯津へ[詩]匂い  石垣りん 四日市へ通ってくる小学校の先生が言いました。 「塩浜」の駅に着けば目をつむっていてもわかります。 クサイんです。   ○ テレビはダメです 匂いがうつりませんから。四日市は江戸時代より菜種油の生産が盛んで「伊勢水」としてその名をとどろかせていた。四日市出身の作家・丹羽文雄は、四日市をえがくとき、好んで“菜の花”をとりあげている。 4月9日は海山道の稲荷条にあたっていた。朝早くから午後になっても、海山道参りの人々は菜の花畑に埋まって歩いていた。   (1936年・昭和11年発表の小説「菜の花時まで」より)1960年代前半、公害が激化する頃、菜の花畑が田圃から消えていった。1)日本で最初の本格的な石油化学コンビナートは、1955年(昭和30年)12月にまず中部電力三重火力発電...