ブログ 2008/8

四日市公害被害地を歩く

投稿日時:2008/08/25(月) 11:49

四日市といえば、「四日市ぜんそく・公害の町」という「イメージ」がある。そして、この「イメージ」を払拭したいという人がいるが、コンビナートは、今でも公害発生源であり、公害認定病患者は488人いる。この「事実」をなくさない限り、ぼやけた「イメージ」はなくならい。

公害反対運動をもう一度やろうなどということは言わないが、少なくとも、公害発生源であるコンビナートの企業がどういうことをしているのか、市民が関心を持ち続けていかない限り、石原産業のように、過ちを繰り返すことを許してしまう。

 四日市公害を記録し続けてきた沢井余志郎氏による語りの中で、特に印象に残った言葉でした。

 話の中で、住民の苦しみは、2つあったのではないかと感じました。
 1つは、住民が「くさい魚」や「空気の汚れ」に苦しんだということです。 もう一つは、公害反対運動に対して、コンビナートや行政側が住民同士の間に溝を作るような様々な手法で切り崩してきたことです。

 沢井氏による講演会は、9月27日(土)に行われます。

第2回「四日市公害と歴史」

投稿日時:2008/08/25(月) 07:56

 「四日市公害の歴史」と題して、元コンビナート社員(語り部)山本勝治氏の講演でした。
 元コンビナート社員という立場から、当時の公害、特に、コンビナート工場が出す亜硫酸ガスと環境保全目標値に関わるお話しが興味深く、なるほどなあと思いました。
 四日市ぜんそくの裁判のおかげで、コンビナート各社における亜硫酸ガスを排出できる総量規制が始まりました。また、亜硫酸ガスの環境保全目標値が定められ、急速にひどい公害の状況から改善されていくことになりました。一般的には、これは、各工場に脱硫装置をつけ、濾過して亜硫酸ガスを排出するようになったためだと言われています。
 ところが、山本氏によると、亜硫酸ガスの排出量が下降していく一番の理由は、硫黄分が多く含まれる重油から少ない重油に切り替えていったためということでした。企業がもっと早くから重油を切り替えたなら、公害の広がりは、もっと押さえられていたのではないでしょうか。
 山本氏は、認定患者の推移と亜硫酸ガス排出量の変化にも目を向けて次のように推察されました。
 「亜硫酸ガスの排出量が環境保全目標値を達成しても、新しく認定される公害患者が毎年出ています。もし、1988年に公害病の認定制度が廃止されなかったら、もっと、患者が増えていたと考えられます。」
 認定されなかった人が潜在的にたくさん存在することになります。
 四日市市は、「公害」から「環境」へと政策を移してきました。四日市市の考える「環境」は、四日市公害を過去のものとして、切り離そうとしているように感じました。



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